大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和63年(あ)514号 決定

本籍

東京都大田区西糀谷三丁目六一〇番地

住居

ハイネス麻布鳥居坂四〇二号

医師

八木昭二

昭和二年六月二六日生

右の者に対する所得税法違反、詐欺被告事件について、昭和六三年三月一八日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人長谷川幸雄の上告趣意は、事実誤認の主張であり、弁護人佐藤博史の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 角田禮次郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

昭和六三年(あ)第五一四号

被告人 八木昭二

弁護人佐藤博史の上告趣意(昭和六三年八月三〇日付)

第一点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反し(刑訴法四一一条三号)、かつ憲法三一条の違反がある(刑訴法四〇五条一号)。

一、原判決は、被告人に対する所得税法違反につき、検察官によつて否認された接待交際費に関連して、「弁護人の挙げる右の検察官坂井靖作成の捜査報告書は、公表された接待交際費の『飲食店関係等の計上金額』と『飲食店関係等以外の計上金額』の二つのうち、前者についてのみ調査して、認容し得るものと、認容できないものを区分したにすぎず、後者については調査検討を行つていないうえ、検察官によつて認容も否認もされていないものであり、これをもつて弁護人の主張を裏付ける証拠とすることはできない。」(原判決五丁表裏)と判示した。

しかしながら、本件における検察官の立証方法によれば、検察官によつて調査検討の対象とされず認容も否認もされていない金額は、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、認容すべき金額として取り扱われなくてはならない。

原判決の右判示は、接待交際費として計上された金額のうち否認すべき金額について検察官に立証責任があることを忘れた、明らかに誤つたものなのである。

そして、検察官坂井靖作成の昭和六〇年二月一八日付捜査報告書によれば、「飲食店関係等以外の計上金額」は、昭和五六年度で四二七万六一六四円、同五七年度で八五二万八七〇八円あるというのであるから、被告人の捜査段階での最終的供述たる昭和六〇年二月一四日付検面調書における供述(すなわち、昭和五六年分で八五〇万円程度、同五七年分で九七〇万円程度)が信用できるとしても、認容すべき接待交際費は、これに右「飲食店関係等以外の計上金額」を加算しなくてはならないのであつて、結局、昭和五六年分で一二七七万六一六四円(程度)、同五七年分で一八二二万八七〇八円(程度)ということになる。

したがつて、接待交際費として認容されるべき金額は、昭和五六年分、同五七年分のいずれも年間一〇〇〇万円以下であるとした第一審判決を是認した原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反し、ひいては憲法三一条の違反があるといわなくてはならない。

二、原判決は、同じく、エーダイ薬品株式会社以外の薬品問屋からのリベートについて、これが被告人の雑収入に該当することは明らかであると判断した(原判決五丁裏~六丁裏)。

しかしながら、右リベートのうちには、薬品問屋が被告人を実際に接待するかわりに、被告人が飲食した場合に、被告人が薬品問屋宛の領収書をもらつて代金を支払つておき、後日これに見合う金額を薬品問屋から受取つたものが相当程度含まれているところ、それらは、いわば被告人が一時的に立て替えておいた飲食代金を後日精算してもらつただけのものであつて、被告人が実際に受けた利益は飲食の提供でしかないことになる。

現に、検察官は、国税当局がリベートとして雑収入と認定した金額のうち、被告人が実際に接待を受けたものについては、リベートとして認定することは困難だとして、これを除外しているのである(検察官小野拓美作成の昭和六〇年二月一八日付捜査報告書三丁表裏)。

すなわち、その実態において、被告人が単に飲食の提供を受けたにすぎない場合をも収入除外とみることは許されないのであつて、この点においても、原判決の右判示には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反し、ひいては憲法三一条の違反があるといわなくてはならない。

三、原判決は、同じく、今村みつ子に対する給料等について、「同女が同病院を辞めた後引続き従前通り給料等名目で支給されていた金員は、同女が被告人と愛人関係にあったためその手当てとして支給されたものであり、カルテの改ざん作業の手伝いは、同女が被告人の愛人として手助けしたもので、金銭的対価の授受を予定して行われたものとはみられないから、同女に対する給料賃金として公表計上されたもののうち、病院に勤務していない期間の部分は必要経費に算入されるべきものではないというべきである」(原判決八丁裏)といい、「原判決(第一審判決)が同女が病院に勤務していない期間同女に給料等として支払われていたことの理由にカルテ改ざん作業を手伝つていたことを挙げた点は妥当といえないが、同期間同女に給料等として支給された分が必要経費に算入されるべきものではないとした結論において誤りはないから、結局原判決に事実の誤認の違法があるとは認められないことに帰する」と判示した(原判決九丁表)。

しかしながら、今村みつ子に対する給料等が支給されていた期間中終始変らなかつたものが被告人と同女との愛人関係だけであり、同女がカルテの改ざん作業を手伝つていたときも、いないときも右金額に増減がなかつたとしても、だからといつて、その全てが愛人関係にあつたための手当であり、カルテの改ざん作業に従事したことの対価としての性格を一切持たないということはできない。

今村みつ子に対する給料等が同女が被告人と愛人関係にあつたために支給されたことは否定できないが、第一審判決も認めたように、それは同女が被告人のカルテの改ざん作業を手伝つたことに対する対価としての性格をも有していたのである(なお、それは、そのほかに、看護婦募集の渉外活動などをしたことの対価としての性格をも有していた)。

カルテ改ざん作業の結果としての詐取金額を収入として認定しながら、今村みつ子に対する給料等をその必要経費として認めないことこそ不合理である。

原判決の前記判示は、事実を誤認したものといわなくてはならない。

原判決には、右の点においても、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、破棄しなければ著しく正義に反し、ひいては憲法三一条の違反がある。

第二点 原判決は、刑の量定が不当に重く、破棄しなければ著しく正義に反し(刑訴法四一一条二号)、かつ憲法一四条の違反がある(刑訴法四〇五条一号)。

一、原判決は、被告人を懲役四年および罰金一億円に処した第一審判決を「量刑が重過ぎて不当であるとは認められない」といい(原判決三〇丁表)、同種事犯の量刑との比較について、「同種事犯に対する裁判例は類型的な犯罪について一般的・抽象的な量刑基準を形成するものであることからして、量刑の判断にあたつては当然これを考慮に入れつつも、証拠によつてその有無を判断すべき当該事件自体及び犯人に関する個別的・具体的事情を中心として検討すべきであつて、これにより量刑された刑が裁判例と異なるからといつて、量刑不当とはいえない。そして、これまで検討していた犯行の動機、犯意の強弱、犯行の累行性・継続性、犯行の手段・方法、脱税額・ほ脱率、不正受給額、取得した金員の使途、被告人の行為の積極性の程度、共犯者らとの関係、犯行後の納税状況、不正受給金の返還状況その他の量刑事情を総合すると、所論が挙げる裁判例を考慮に入れてみても前記結論を覆すのを相当とする事情は認められない」(原判決三二丁裏)と判示した。

二、しかしながら、何よりもまず強調しなくてはならないのは、第一審判決およびこれを是認した原判決によつて、被告人は従来の脱税事犯中もつとも重い刑に処せられた、ということである。

その量刑から見るかぎり、被告人は過去最高の脱税犯人なのである。

現に、第一審で、検察官は、「個人病院経営者の脱税事件としてはもつとも高額な脱税事件である」と論告で論じられ、懲役六年及び罰金一億二〇〇〇万円という驚くべき求刑をされた。

しかし、検察官のかかる指摘はそれ自体誤つており(そのことはのちにみる裁判例から明らかである)、従来の量刑基準を大幅に逸脱した異常に重い求刑だつたのである。

そして、第一審判決は、右求刑を相当下回る量刑をしたとはいえ、これに引きずられ結果、被告人に対し、従来の脱税事犯中もつとも重い刑を言い渡し、原判決もこれを是認した。

だが、被告人が従来の脱税事犯中もつとも重い刑を言い渡されて当然といつた事情は、本件の場合には、何ら存在しない。

本件に比し、脱税額、ほ脱率のいずれもが高い事案の裁判例における量刑が、本件より格段に低いことを、原判決がいうように、「同種事犯に対する裁判例は類型的な犯罪について一般的・抽象的な量刑基準を形成するものであることからして、量刑の判断にあたつては当然これを考慮に入れつつも、証拠によつてその有無を判断すべき当該事件自体及び犯人に関する個別的・具体的事情を中心として検討すべきであつて、これにより量刑された刑が裁判例と異なるからといつて、量刑不当とはいえない」などという抽象論で排斥することは許されない。

脱税事犯における量刑を考える場合に、もつとも重視されるものが脱税額(と、ほ脱率)であることはいうまでもないが、具体的な事件に関する量刑は、この脱税額とほ脱率によつて決定される(原判決のいう)「一般的・抽象的な量刑基準」の枠内で、(原判決のいう)「事件自体及び犯人に関する個別的・具体的事情」を考慮して決定されるべきものであり、一般的・抽象的な量刑基準の枠を越えた量刑は、それだけで不当に重く、憲法一四条に違反するのである。

原判決の前記判示はそれ自体誤つているといわなくてはならない。

三、そこで、弁護人が原審で指摘した裁判例のうち、本件との比較で重要な脱税事犯につき、裁判所、判決日、被告人の職業、脱税額(、ほ脱率)、量刑の順に摘記すると、つぎのようになる。

〈1〉 東京地判昭五五・三・一〇、トルコ風呂経営者、四億八九〇〇万円、九九・六%、懲役一年六月(判時九六九・一三。東京高判昭五七・一・二七で懲役一年二月に減刑)

〈2〉 東京地判昭五五・三・二六、トルコ風呂経営者、二億四九〇〇万円、九四%、懲役一年六月(東京高判昭五七・四・二一で懲役一年に減刑)

〈3〉 東京地判昭五六・九・二四、キャバレー大衆酒場兼トルコ風呂経営者、二億八七〇〇万円、七〇%、懲役一年六月罰金五〇〇〇万円

〈4〉 東京地判昭五六・一二・一八、整形外科医、三億二四九〇万円、九九%、懲役一年六月罰金五〇〇〇万円(判タ四六四・一八〇。なお、東京高判昭五七・一一・一〇により控訴棄却-判時一〇八三・一五二)

〈5〉 東京地判昭五七・四・二六、サラ金業者、三億一九〇〇万円、不明、懲役一年六月罰金五〇〇〇万円

〈6〉 東京地判昭五七・一〇・二〇、司法書士、三億四〇〇万円、不明、懲役一年六月罰金七〇〇〇万円

〈7〉 京都地判昭五八・八・三・サラ金業者、一四億三〇〇〇万円、九八・五%、懲役二年罰金二億五〇〇〇万円(判時一一〇四・一五九)

〈8〉 大阪地判昭六〇・三・一八、医師、六億六〇〇〇万円、七五ないし八六%・懲役一年六月罰金一億三〇〇〇万円(なお、大阪高判昭六一・一・二九で懲役一年二月罰金一億円に減刑-判タ五九九・七四)

〈9〉 東京地判昭六一・一一・一一、暴力団組長、四億七八〇〇万円、一〇〇%、懲役二年四月罰金一億二〇〇〇万円(いわゆる平和相互銀行事件に関連した事件。東京高判で控訴棄却。現在上告中)

〈10〉 金沢地判昭六〇・一〇・二九、医師、八億一四三五万円、六三・三%ないし八〇・一%、懲役二年六月罰金一億円(なお、名古屋高判昭六二・二・二六で、懲役二年罰金一億円に減刑)

そして、本件の場合、脱税額は昭和五六年、昭和五七年の二年分合計約三億七〇九二万円であり(なお、ほ脱率は、昭和五六年分が四二%、昭和五七年分が五三%であり、右裁判例より明らかに低い)、診療報酬の支払い名下に約三億四五〇〇万円を騙取した詐欺の点を考慮したとしても、右の裁判例が教える量刑基準によれば、被告人に対する量刑は、せいぜい懲役三年以下および罰金一億円以下という枠内でなされなくてはならなかったことが明らかである。

四、ことに、本件と同じく詐欺事犯を伴う右〈10〉の事例は重要である。

右事件の詳細は、原審で弁護人が提出した右事件に関する第一審判決および控訴審判決を読んで頂くしかないが、右事件とは、要するに、金沢市内などで二つの病院と一一ケ所の診療所を経営していた医師たる被告人が、昭和五五年ないし昭和五七年の三年分の所得税合計八億一四三五万一九〇〇円を免れ(そのほ脱率は、昭 和五五年分が六三・三パーセント、昭和五六年分が八〇・一パーセント、昭和五七年分が七六・九パーセン ト)、かつ昭和五六年から昭和五八年にかけて看護婦数を偽って基準看護料名下に合計二億六〇九九万三五九〇円を詐取したというものである。

そして、右事件につき、金沢地方裁判所は、脱税額が巨額で「悪質重大事犯であり被告人の刑責は重い」とし、さらに詐取の点をあわせ考えると「被告人の責任は一層重い」としながら、被告人を懲役二年六月罰金一億円(求刑懲役四年罰金二億円)に処し、名古屋高等裁判所は、〈1〉犯行の動機が「他の同種事犯に比すれば、それほど悪質ではない」こと、〈2〉詐欺について「違法性の意識が高かつたとまでは認め難いこと」、〈3〉その他有利な事情、とりわけ「被告人は自己の非を認めて反省の態度を示し」、「被告人の努力により巨額にのぼる本件被害の回復が早期に実現していること」を考慮し、〈4〉「他の同種事犯における量刑状況とも比較衡量する」と、原判決の量刑は若干重きに過ぎるとして、原判決を破棄し、被告人を懲役二年罰金一億円に処する旨あらためて判決したのである。

むろん本件と右事件を単純に比較することはできないが、しかし、右事件の脱税額は本件をはるかに上回るものであつて、右事件の詐欺の犯行態様および騙取金額が本件に比し若干軽微であることを考慮にいれても(但し、本件では騙取金額の大半は所得税として納付され被告人の手元に残つた利益はわずかに三〇〇〇万円程度にすぎないことを忘れてはならない)、被告人の刑責が右事件の被告人の刑責を上回るとは到底考えられないのである。

否むしろ、本件では共犯者ことに税理士大濱の果した役割が大きかつたことを考慮すると(その詳細は、原審で弁護人が指摘した)、被告人の刑責は右事件の被告人のそれに比し軽いとさえいうべきかもしれない。

そして、右名古屋高裁判決が第一審判決を破棄するにあたつて、「他の同種事犯における量刑状況」について言及していることを見逃すことができない。

(さらに、昭和六一年一二月一三日の各紙の新聞報道によれば、不正行為をした医師に対する行政処分を審議する厚生大臣の諮問機関である医道審議会は、大阪の藪本英雄医師<六〇>に対する医師免許取消処分を決めたが、同医師は、三年間で六億五〇〇〇万円余という審議会対象事犯では過去最高の脱税を行い、懲役二年執行猶予五年の確定判決を受けたというのである。)

五、弁護人は、原判決が強調して止まない、「中心として検討すべき」本件における「当該事件自体及び犯人に関する個別的・具体的事情」、すなわち、「犯行の動機、犯意の強弱、犯行の累行性・継続性、犯行の手段・方法、脱税額・ほ脱率、不正受給額、取得した金員の使途、被告人の行為の積極性の程度、共犯者らとの関係、犯行後の納税状況、不正受給金の返還状況その他の量刑事情」が、たとえ、過去に例を見ないほどに悪質なものであつたとしても、懲役四年および罰金一億円という原判決が是認した第一審判決の量刑は、被告人に対する不当な差別以外の何ものでもない、と考える。

まして、原判決が指摘する右事情が、過去に例を見ない悪質なものといえるようなものでは到底なく、正当化することは無論できないが、いずれの点でも同種の例を容易に見出し得る類いのものである以上、医師としてそれなりに社会的貢献をしてきた被告人に対する量刑が、過去の脱税事犯中最高のものである理由はどこにもない。

原判決は、刑の量定が不当に重く、破棄しなければ著しく正義に反し、かつ憲法一四条の違反があるといわなくてはならない。

以上

昭和六三年(あ)第五一四号

被告人 八木昭二

弁護人長谷川幸雄の上告趣意(昭和六三年八月三〇日付)

一審判決は、経験則に反し重大な事実誤認があり一審判決を破棄しなければ正義に反する。

一、詐欺(水増請求)について

(1) 検察官の基本的パターン

当弁護人らは、詐欺金額につき重大な疑問を持つている。すなわち、水増請求はもつと減額さるべきである。当弁護人らは、受任後、検察官作成の昭和六一年九月一日付「抗生物質水増量検討メモ」(以下検討メモという)を検討した。

検察官の検討メモにおける水増認定の基本的パターンは次のとおりである。

(イ) 渡辺の供述を前提にする。

(ロ) 指示簿は渡辺、カルテは被告人の字である。

(ハ) 改ざんの跡はない。

(ニ) したがつて、全量水増である。

一審判決も、この検察官のパターンに依拠している。

(2) 検察官の基本的破綻-カルテ原本との照合

検討メモの最大の問題は、検察官が、渡辺の供述を前提にしていることで、前記の(イ)・(ロ)である。

(イ)・(ロ)が崩壊すれば、水増の結果はでてこない。

渡辺は、安易に、指示簿(渡辺)・カルテ(被告人)の記載を判定している。しかし、他方、自己の字であるかどうか不明(例えば金野ヤス)、カルテについても被告人の字であるか不明(例えば同)としている。また、日時によつて、自己・被告人の字か否かを判定している例もある(横田甚作)。さらに、カルテにおいて、2→3に改ざんされている(例えば大山スズ)旨述べているところもある。

これだけ見ると、いかにももつともらしい。そこで、弁護人らは、指示簿・カルテの原本を閲覧し、渡辺の供述に根拠があるか検討することにした。

(イ) まず、渡辺が、自分の字としている部分と不明としている部分、および他の看護婦の字としている部分について、何ら特別の相違がない。渡辺は、一体、どのような基準でそれら区別をしたのかが全く合理的理由がない。

(ロ) また、一方、明白に渡辺の字と違うものを自己の字としている。

例えば、高田愛子、森本ナミ、鈴木ハル、水野晴一、大嶋エマ、長久保仲吉、浜勇広等。

(ハ) カルテの記載についても、渡辺の区別基準はない。

(ニ) また、改ざんの痕跡についての判断に関してもまつたく理解できない。例えば、藤森治子(四月分)のカルテ4・1「E4は、3→4に、4・26E3は2→3に感じる。判断しにくい」としているが、これは、誰が見ても改ざんがはつきりしている。福原善一についても同様である。

(ホ) 渡辺は、すでに退院している患者についても改ざんとしている。こんなことをしかも検察官も見すごしている。

例えば、大山スズにつき、渡辺は「SBにつき、(指)2・16SB2は私の字、K2・16SBは先生の筆跡、2→3に見える」としている。そして、検察官も、「判断」欄でそのようにしている。

しかし、この患者は、すでに二月九日に退院しているので、渡辺の供述が虚偽であることは明確である。

(ヘ) 渡辺は、1→4への改ざんがあると判断しているが、実際に、カルテを見ても、1→4への改ざんは認められず事実に反している。

例えば、今野ヤス2・6SB、堀内路く2・16SF、横田甚作SB、森本ナミ(三月分)3・16~3・12SB、茂垣九十九E、浜勇広6・11SB、大嶋シマE、水野晴一E。これらはいずれも全量施行である。

全量施行された時の4の記載と、渡辺が1→4と改ざんされた記載と主張する部分をカルテ原本で照合しても判別がつかない。

(ト) 1→4に改ざんがあつたのか否か渡辺にも不明であり、検察官とも結論が相違している。例えば、今野ヤス(渡辺は、「1→4に見える」、検察官は、「1→4とも見ることができる」)、堀内路く(渡辺は、「1→4のように判断する」、検察官は、「1→4の改ざんとも認め難い」、横田甚作(渡辺は、「1→4」、検察官は、「2・16は改ざんの跡なく」)。

他方、渡辺が1→4への改ざんと認めていないものを、検察官が、如何なる根拠から改ざんとしているものもある。例えば高田愛子、藤森治子(四月分)、川口かね子、前川鉄夫、岡部喜久代(五月分)、水野晴一、鈴木ハル、高久斌。

(チ) さらに、渡辺は、自分の記載ではあるが、水増しではなく、「看護婦がつけ落したので自分が書いた」(例えば、高田愛子福原善一)としている部分がある。しかし、指示簿を見ても、何故、二人の患者のみが「つけ落し」なのかまつたく根拠がない。何故、二人のみがそうで、他の患者が水増しなのか全然理由がない。カルテをみても検討メモを見ても理解ができない。

以上のとおり、渡辺の供述とカルテ原本を照合するとまつたく矛盾しており、渡辺供述の信用性はないと判断せざるを得ない。従つて、検察官・一審判決は、かかる渡辺供述を大前提にすることによつて誤まつた結論を得てしまつた。また、検察官・一審判決は、カルテ記載の基本的パターンを無視した渡辺供述を信用し、個々の患者の症状を度外視してしまつた。患者の症状を検討することによつて、水増であるか否かをよく判別することができる。温度板を検討するだけでもさらに水増でないことがはつきりする。

(3) 個別の検討

1.遠藤きく

渡辺は、全量水増、検察官も同じく水増(但し、起訴数値は計算間違いとして△3gとしている。この根拠は、渡辺・検察官の基本的パターン-指示簿は渡辺、カルテは被告人の字、改ざんの跡なし-にもとづいている。

しかし、これは全量施行である。渡辺は分院のカルテ記載の原則を無視している。すなわち、分院では、ページの途中で指示の記載があるということは、指示の現実的な変更があつたことを意味し、それは施行したことになる。また、もし水増ならば、指示簿も混合薬の最初に記載することはあり得ない。

2.岡部喜久代(二月分)

これも全量水増としている。但し、渡辺は、カルテの字を不明としているが、検察官は被告人としている。

これも遠藤と同じく全量施行である。2月15日が水増なら2月16日は「do」になつているはずであるのに、改めて記載があるのは全量施行したことを意味する。

改ざんの跡がないから水増とはならないのである。

3.大山スズ

SFにつき、検察官は全量水増としている(但し、カルテの字につき渡辺は何も供述していないが検察官は被告人としている)。しかし、カルテ原本を見ると、1→4の改ざんの跡があり、△5gである。

SBにつき、2・16は2→3への改ざんとしている。しかし、前述したとおり、この患者は、2月9日にすでに退院しているのであるからこのようなことはあり得ない。

4.桑田トミヨ

指示簿・カルテとも、いつたん消したあと、それぞれ渡辺・被告人が記載したとして全量水増としているが不当である。カルテを見て、指示簿を記載するのであり、指示簿を消して記載することはあり得ない。全量施行としなければならない。

5.今野ヤス

渡辺は、指示簿につき、「似ているが私の字ではない。1→4に見える」とし、検察官も渡辺の記載ではなく、「1→4とも見ることができるところ……」と述べている。

しかし、他の箇所で渡辺が自分の字であると断定している部分とこの部分を比較して一体どこが違うのか理解できない。また、カルテ原本をみても、1→4とは見えない。

カルテにつき、渡辺は、「判断できない」とし、検察官も、「八木の字とは判断しかねる」としているが、明白に被告人の記載である。渡辺・検察官とも、記載を区別する基準は一体何なのか。実に恣意的である。

検察官は、水増を前提にしているが、指示簿が、「渡辺の記載ではない」というのであれば、これは、全体誰の記載なのか。誰が改ざんをしたというのか。

全量施行である。

6.茶木フジ

渡辺・検察官とも、基本的パターンを適用して全量水増としている。しかし、カルテは被告人の字ではなく、指示簿も渡辺の記載ではない。

全量施行である。

7.長久保仲吉

これも検察官は全量水増としているが不当である。渡辺の字としているが、渡辺が、似ているが自分の字ではないとする記載、誰の字か不明としている部分とまつたく区別がつかない。全量施行とすべきである。

8.堀内路く

渡辺は、SFにつき「1→4のように判断する」とし、「全量使用かどうか判断しかねる」と述べている。渡辺が1→4に判断した根拠がまつたく分からない。この点は検察官と同意見である。SBは全量水増としている。

しかし、これらも全量施行である。この患者は、カルテ・温度板等を見ると、発熱継続しており抗生物質の筋肉注射を追加している。点滴にSBを混入しても解熱することなく、筋肉注射を併用したものであり、全量施行である。

9.矢作ハルコ

渡辺は、カルテの「E4の字はわからない」としているのに、「全量水増と思う」としている。何故、このようになるのか理解不可能である。一方、検察官は、渡辺が「わからない」と述べているのに、「八木の字」であるとしている。渡辺がわからないものを、検察官は、「八木の字」と判別したのか。まつたくの独断であり根拠はない。

全量施行である。

10.横田甚作

渡辺・検察官によると、2・16、2・18・2・21は渡辺の字であるが、2・23は不明という。しかし、渡辺の字とされている部分と不明とされている部分で一体どこに違いがあるのか。

また、カルテについても、2・16は八木の字であるが、2・18、2・21は不明としているが、原本を見てどこに異同があるのか、いずれも被告人の記載である。

さらに、「1→4と判断せざる得ない」としているが、原本を見てもそのような痕跡は全くない。

これも全量施行である。

11.横元甚太郎

矢作ハルコと同じく全量施行である。

12.渡辺とり

看護婦のつけ落しであり全量施行である。

13.下山喜

渡辺・検察官とも、改ざんの跡なく全量水増としているが、カルテ原本を見ると、E、SBともカルテ改ざんの跡があり、いずれも△5gである。

14.鈴木マサ

渡辺・検察官とも、基本的パターンを適用して全量水増としているが事実に反する。

2・1のE4が水増であれば、2・3の記載はdoでよい。ところがカルテの記載をみると、再度記載されており、2・3からは全量施行である。したがつて△12gである。

15.高田愛子

SFにつき、渡辺・検察官とも何ら言及せず原処理正当としているが、指示簿を見ても、渡辺の字とは見えず全量施行である。

SBについては、検察官の判断は完全に独断である。渡辺は、「2.16は自分の字で看護婦がつけ落したので自分が書いたのかも知れない」、2・9、2・11は不明としている。カルテの2・9、2・11は被告人の字ではないと述べている。

検察官は、2・9、2・11の指示簿は看護婦の字であり、「1→4の改ざんとも見ることができる」とし、カルテにつき、2・9、2・11は被告人の字ではなく、「1→4の改ざんと見ることもできる」としている。それでは、指示簿を記載し改ざんしたのは一体誰なのか。まつたく証拠がない。カルテを記載したのは一体誰で、誰が改ざんをしたと言うのか。

「1→4への改ざんを見ることもできる」というが、カルテの見本を見ても、改ざんということは有り得ない。渡辺すら改ざんということは述べていない。

カルテの2・9は被告人の記載、2・11は看護婦の記載である。

検察官は、2・16分につき、指示簿は、「改ざんとは言いきれない」と主張しているが意味不明てある。SBについても全量施行である。

16.松島とみ

検察官は、計算間違いを指摘するのみであるが、渡辺は何ら証言していず、根拠がない。

全量施行である。

17.福原喜一

結果的には、検討メモのとおり△16gである。

18.二瀬ヒデヨ

検察官・渡辺も改ざんの跡なしとしているが、原本を見ると、1→4への改ざんの跡がある。したがつて、△4gである。

19.小俣はな

検察官は、計算間違いのみを指摘しているが、改ざんの跡あり、(1→4)×12=36で△12gである。

20.鈴木ハル

この患者についても検察官の判断はこじつけである。SBにつき渡辺は、指示簿は自分の字、カルテは「……先生の字ではないし薬品名も間違えている」と述べている。

検察官は、「1→4の改ざんであると見えなくもない……」としているが、3・18のSBは、どう見ても改ざんとは見えない。

また、指示簿の字も渡辺の字とは到底言えない。カルテの記載が被告人の字でないのであれば施行は当然である。全量施行である。

Eについては、何らの言及もないが、1→4への改ざんがあり、△7gである。

21.森本ナミ(三月分)

渡辺・検察官は、3・6~・3・11は、1→4の水増、3・20~3・25は全量水増としているが全く事実に反する。

1→4の改ざんと言うが、指示簿・カルテともそのような跡はみられない。指示簿は渡辺の字ではなく看護婦の字であるから全量施行。3・20~3・25は、逆に、カルテ原本を見ると、1→4の改ざんがある。

したがつて、この間は、△23gである。

22.掛川梅三

検察官は、改ざんの跡もないということで全量水増としているが、カルテ原本を見ると、4・6、4・25に改ざんされており、4・26には2→3へと改ざんされている。したがつて、△16gである。

23.高久斌

この患者についても検察官はひどい独断をしている。渡辺は何も証言していない。

SBにつき、4・11は渡辺の字ではなく、4・16は「渡辺の字とも思える」としているが、当弁護人らには、4・16が渡辺の字とはまつたく思えない。「改ざんについては1→4か否か不明確」としているが、そのような痕跡はない。カルテについては、、被告人の字ではなく、「1→4に見える」と言うが、改ざんがあつたとはまつたく判断できない。全量施行されたものである。

Eについては何らの言及もないが、4・1に改ざんがある。したがつて、△10gである。

24.森本ナミ(四月分)

結果的に、検討メモのとおり。

25.藤森治子

検討メモのとおり。

26.川口かね子

検討メモのとおり。

27.佐野ともの

渡辺・検察官とも全量水増としているが事実に反している。カルテの記載方法として、整理上、ページのはじめには指示の記載をし、あとはdoとしていく。しかし、ページの最後に指示の記載のあることは、それが現実に施行されたことを意味し、看護婦のつけ落しにより、渡辺が指示簿に記載したものである。

検察官は、改ざんがないとしているが、原本を見ると、4・26に2→3への改ざんがある。

したがつて、△34gである。

28.前川鉄夫

Eにつき、検察官は、4・6、2・9を改ざんと認めていないが改ざんの跡がある。したがつて、△10gである。

SBについては何ら言及せずに起訴数値を認めているが不当である。カルテの4・11は被告人の字であり、指示簿は渡辺の記載ではない。また、4・16は2→3への改ざんがある。したがつて、△40gである。

29.岡部喜久代(五月分)

これも検事の独断である。渡辺の証言は何もない。指示簿の記載は、米山三郎としているが、どこにその根拠があるのか。指示簿のつけ足しは渡辺以外の者はしない。SBにつき、カルテは被告人の字であり、指示簿は看護婦の字である。全量施行である。

検察官は、Eにつき、「1→2の形跡があり」とするが、カルテの原本を見ても、そのようなことはまつたく考えられない。指示簿は看護婦のつけ落しである。5・18の途中で指示が変わることはなく、その後バシアンに変えたものであり全量施行である。

30.川原吹重吉

検察官の基本的パターンに従つて全量水増としているが事実に反する。5・1に指示簿のつけ落しがあり全量施行である。

31.茂垣九十九

渡辺・検察官によると、5・19、5・21は、渡辺・被告人の字、5・24、5・29は二人の字ではなく、1→4の改ざんとも見えるとされている。

しかし、改ざんとは全然見えず、また、5・24、5・29とも二人の字でないというのであれば水増はあり得ない。さらに、5・19、5・21とも、カルテ原本からすると二人の字ではない。全量施行である。

32.折笠長治郎

改ざんの跡なしとしているが、カルテ原本を見ると改ざんの形跡がある。5・11、5・16のEは1→4に改ざんされている。したがつて、△10gである。SBにつき、5・21は1→4に、5・26は2→3に改ざんされている。したがつて、△17gである。

33.荷宮正夫

Eについては、検討メモどおりであるか不明。Mにつき、全量水増としているが、2→4の改ざんがあり、△10gである。

34.野津トキエ

検察官は、全量水増としているが事実に反している(渡辺証言はない)。Eにつき、「改ざんの疑いも少ないので全量水増と考えるべき……」としているが、1→4への改ざんの疑いがきわめて強い。したがつて、△5gである。

Mについては問題なしとしているが、全量施行である。ページの途中からの指示変更は、回診のとき、口頭で指示するものであり、この変更からのM4は全量施行である。

35.浜勇広

検察官は、6・7は水増、6・11~6・16は1→4の改ざんとしているが、これも事実と異なつている。

6・7は1→4への改ざんである。6・11~6・16は、1→4への改ざんとは到底みることはできない。6・11、6・16の指示簿は渡辺も言うとおり渡辺の字ではなく、カルテの6・11、6・16は「八木の字の可能性がある」としているが独断以外の物ではなく、この間は全量施行である。△16gである。

36.大嶋シマ

これも全量施行である(Eにつき)。1→4への改ざんはまつたくない。カルテ・指示簿を見ても、被告人・渡辺の記載とは考えられない。

SBについては、1→4への改ざんがあり、△8gである。

37.水野晴一

Eにつき、検察官は、渡辺証言を採用しているが事実に反している。6・1は、カルテ・指示簿とも被告人・渡辺の記載とは考えられない。また、「1→4にも見える」としているが、同じく、原本をみても、そうとは考えられない。したがつて、△9gである。

SBについては、渡辺の記載ではなく、カルテについては、検察官は、被告人の字ではないとしているが被告人の字である。また、「1→4の可能性があり」、「1→4とも見える」としているが、これもそうは見えない。全量施行である。

38.秋山アサ

全量水増としているが事実はそうではない。まず、前述したように、ページの途中からの指示変更は、全量施行である。「改ざんの跡は認め難い」としているが、カルテ原本をみると、6・26は、2→3に改ざんしている。

したがつて、△22gである。

39.長久保仲吉(八月分)

この検察官の判断も恣意的である。渡辺は、8・1につき、「字は判断しにくい、自分の字に見えなくもない」とこれもあやふやであるが、検察官は、どのような根拠からか、渡辺の字と断定している。しかし、カルテ原本によると、これは渡辺の字ではない。また、一方、カルテについては「先生の字のように見えますし……」と自信がない。これは被告人の字である。したがつて、これは全量施行である。

40.山元スエ

改ざんの跡なく全量施行としているが、8・22に1→4、8・27に2→3への改ざんがあり、したがつて、△15gである。

41.瓜生はる子

これも間違つている。1→2への改ざんはいずれも認められない。指示簿・カルテとも、渡辺・被告人の字ではなく、全量施行である。

二、一審判決に対する疑問

(1) 減額の根拠

一審議判決は、起訴金額に対し、計算間違いのほか、六名について減額している。その根拠は、検察官が改ざんの跡なしとしているものを、1→4、2→3への改ざん、1→4の改ざんか否か不明なので全量使用と訂正している。

(2) カルテ等を精査すると改ざんはさらにある。

しかし、本院・分院分を問わず、カルテ等を精査すると、さらに、1→4への改ざん、2→3への改ざん等が多く存在する。分院分については前述したのでここでは本院分について検討する。

以下は改ざん(1→4)の跡、歴然としている。

(イ) 浜勇広(2・14 SF) 5g

(ロ) 前田新蔵(2・21 SB) 5g

(ハ) 宇佐見なを(2・16 SB) 5g

(ニ) 柵原政雄(2・18 SB) 5g

(ホ) 横田甚作(7・1 M) 5g

(ヘ) 茶木フジ(7・26 T) 5g

(ト) 鳴島以ま(7・1 M) 5g

(チ) 山田助次郎(3・23 E) 9g

(リ) 鈴木アサ(3・1 T) 6g

(ヌ) 山岸タノ(8・1 SB) 5g

(ル) 田中ヨキ(8・3 M) 3g

さらに。1→2への改ざんもある。

(ヲ) 山本・昌雄(2・27 E) 2g

以上は、ごくごくその一部であり、カルテ等を精査することによつてさらに多くの1→4、2→3等の改ざんが明白になる。

(3) 全量施行について

一審判決は、全量施行であるとの弁護人の指摘に対し、いずれも否定している。その根拠は次のとおりである。

(イ) 4gという数量は使用しない。

(ロ) doは同一物質以外のみに適用される。

(ハ) 分院については米山が記載したものがある。

一審判決は、宇田川源太郎(本院分)につき、カルテの記載から1→4への改ざんか否か不明であるので全量施行としたと述べている。この結果については何等の異議もない。

しかし、カルテの記載については、検察官、渡辺とも改ざんとしている。弁護人が検討すると改ざんの跡はない。このように、検察官が安易に改ざんの跡がなく全量水増としているのが数多く存在している。一審判決が宇田川につき改ざんが不明であるので全量施行と訂正したのであれば、同一の事例はもつともつと多く存在する。十分に検討して頂きたい。

一審判決が宇田川につきかかる訂正をしたのは、カルテの記載もあるが、実質的にその病状である。宇田川は、六月一〇日に死亡している。したがつて、被告人の「…熱も高くなつていただろうし、容態が変わらないと六日の指示がずつと出ている。六月九日に容態が変つて指示が変つたと思う」との弁明を容れたものである。一審判決のいうように、抗生物質を四g使用することはないという前提が間違つている。症状によつて四g投与することは十分あり得る。カルテ、温度板等を検討しその症状を把握する必要がある。本院分についても次のとおりの例がある。

例えば、曽武川はつのMにつき全量水増としているが、この患者は、腎う炎の傾向がつよく四gの投与は何等不自然ではない。鳴島以まのMについても、高熱があり酸素吸入も施行し重篤な患者であり全量施行なのである。二の瀬、遠藤きくについても同様である(検察官も吉沢につき死亡の事実を考慮している)。

また、一審判決は、「分院分については米山三郎が行つたものもあることは証拠上明らか」とするが、米山が記載したものは、ごく一部分であり、しかも本院分についてはかかることはない。

以上

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